「
」
食事も終わり、案の定泊って行く気満々の降谷と交代で風呂に入った
が部屋へと戻れば、ソファに座っている降谷に手招きされた。
不思議に思いながらも近寄ると、座るよう促される。
きょとんとしている
の腕を引いて、自身の前、ラグの上に背を向けて座らせた降谷は、肩にかけられていたタオルを取って、濡れた髪を軽く押さえた後、手にしていたドライヤーのスイッチをかちりと入れた。
すぐさま吹き出した温風を
の髪に当てて、丁寧に乾かして行く。
「え、あ、ちょっと、降谷さん?自分でやります!」
「動くな」
振り返ろうとした
の頭を押さえ、大人しくしていろ、と言えば、渋々といったように
は前を向いた。
普段とは手触りの違う濡れた髪を手櫛で梳きながら、満遍なく風を当てて行く。
「出会った頃より伸びたか」
「長い事、美容院に行ってませんから…。店長にも会った事ですし、次の休み辺りにでも行かないと」
枝毛でバサバサ、と言うほどでもないが、長く置きすぎた毛先は艶やかとも言い難い。
傷んでいる部分を全て切るなり、どうにかしたいと考えながら、するすると髪を滑る手の感触に、少し眠気を感じた
は目を細めた。
「――なよ」
「…何か言いました?」
風の音で聞き取れなかったが何か言われた気がして、
は軽く振り返る。
すると少し苦笑した降谷が、いや、と首を振った。
温風と冷風を交互に駆使し、粗方乾いたのを確認して、ドライヤーを止めた降谷はふと気付いたように表情を改めた。
「…担当はあの人か」
「いえ、私の担当は別の方です。店長と対等に渡り合うカッコいい女傑ですよ」
ふふっと笑った
に、それはそれで少し複雑だなと降谷は息を吐く。
さらりと揺れる
の髪を一房、手に収めると口付けた。
くんっと引っ張られる感触に、何かと振り返った
はその様子を見て目を丸くする。
「降谷さん?」
「……」
何か言いたげな顔をしている降谷に、少しの間の後、
はそれを言われる前に口を開いた。
「…美容院には行きますし、切りますからね?」
呆れたように見上げてくる
に、図星だったのか、不満顔のまま降谷は視線を泳がせた。
もう、と小さく息を吐いた
は、ドライヤーのコンセントを抜く。
適当に線をまとめて、降谷の手からドライヤーを引き取り、立ち上がった。
「わっ」
途端、胴に巻き付いた腕に引き寄せられ、腹部に降谷の頭が押し付けられる。
驚きに一瞬固まった
は、降谷を見下ろして首を傾げた。
抱き込まれる事はあっても、抱き付かれる事はあまりない。
一体何事かと躊躇いながらも、
はそっと降谷の髪を梳いた。
「…どうしたんですか?」
「ん」
どこか労わるような色を含んだ
の問い掛けには答えず、降谷は深く息を吐いて目を伏せる。
(まずいな…)
本当なら誰にも触れさせたくはない。
例えそれが必要性のある職種の人間で、仕方がないとしても。
待ち合わせ場所で見知らぬ男と話す
を見た時、冷たい感触が背筋を撫でた。
の交友関係全てを把握し、相手を牽制する事など無理な話だと理解はしているが、気持ちはどうしても騒ついてしまう。
真っ直ぐな瞳。
触れる手の温もり。
柔らかな声。
穏やかな笑顔。
それが他者に向けられる事は正直気に入らない。
は、自分が降谷に振り回されていると思っているようだが、実際は降谷の方も気が気ではないのだ。
常に側にいれる訳ではない上に、危険な仕事をしている自分が
を側に置いていていいのか、その葛藤はいつも心の中で燻っている。
悩んだところで、今更手放せるわけもないと理解しているから、
に問う事はしないが、さっさと囲ってしまいたいのが本音だ。
しかし、それは自分の安心の為であって、きっと
は首を縦には振らないだろう。
決して全てを委ねる事は良しとしないくせに、こうして何も言わずに受け入れてくれている
は、今の関係をどう思っているのだろうか。
いくら公安のエースと言えど、想い人の思考を読むにはいささか客観性が足りなかった。
「…
」
そろそろ離してくれないだろうか、と思いながら、降谷の髪をゆっくりと撫でていた
は、名を呼ばれて手を止める。
「はい?」
「……いや、なんでもない」
するりと離れて微笑んだ降谷に、疑問符を浮かべながらも、
は本来の目的を果たすべく、何も言わずに洗面所へと向かった。
ドライヤーを片付け、戻り際にウォークインクローゼットから予備の毛布を一枚取り出して部屋へと戻る。
ベッドから使っていた毛布を外し、新しく出したそれを広げた。
「シーツは残念ながら今は替えがないのでこのままで…すみません」
「ん?気にしないぞ?」
「私が気にするんですよ…」
眉間に皺を寄せた
は、外した毛布を抱えてソファへと向かう。
その意図に気付いた降谷は咄嗟に
を引き止めた。
「……」
「……」
無言の攻防の末、降谷は
の手から毛布を奪うとひょいと抱き上げて、部屋の電気を消し、
をベッドに下ろすとそのまま自分も横に滑り込む。
「ちょ、降谷さん!?」
「ん?」
慌てる
の肩まで毛布をかけて、抱き寄せれば、
は居心地悪そうに身動いだ。
「っこれじゃ狭いでしょう」
「ソファの方が狭いだろ。落としたりしないから安心しろ」
その答えに、そうじゃない!、と抜け出そうとした
を逃さず、降谷は耳元に口を寄せる。
「
」
「っ!!」
名を呼ばれて、びくりと体を震わせた
は息を詰める。
追い討ちをかけるように、降谷は抱き締める力を強めて口を開いた。
「ここにいて」
「っ、分かってて言ってますね?」
が言えば、降谷は声を殺して笑う。
一人で初心な反応をしてしまっている事を悔しく思って、
は自分を捉えている降谷の腕をつねった。
「いてて」
やめてくれ、と笑いながら降谷は
の背を宥めるようにポンポンと叩く。
小さく呻いた
は、最後の抵抗と言うように寝返りを打って背を向けてしまった。
これ幸いとばかりに引き寄せれば、更に体が密着して温かさを伝える。
しばらくすると、疲れたような、諦めたような溜め息を漏らした
から力が抜けた。
(大概甘いよな…
も…)
小さく笑って
の頭に顔を擦り寄せ、降谷は目を閉じた。
穏やかな寝息が聞こえ出して、
は薄っすらと目を開ける。
さすがにすぐ眠れるほど、達観はできていなかった。
包み込まれる温かさは心地良く、安堵感をもたらすが、同時に不安感に苛まれる。
過酷な日々を送るこの人がゆっくり休めるのなら、それで良い。
そんな風に思えるのに、この温かさに慣れてしまうのは怖いのだ。
笑って送り出せる自分でいたいのに、手を伸ばしたくなってしまう。
だが、自分の手は、引き止める手ではなく、支える手でなくてはいけない。
(…だから嫌だったのに)
気恥ずかしさもあるが、ある程度の距離感は、自分がそうあるべきと目指す自分である為の
なりの考えなのだ。
小さく深呼吸すれば、身動いだ降谷の腕に力がこもる。
起こしてしまったかと一瞬身を固くするが、そこから特に反応はない。
ふと、縋るように抱き付かれたのを思い出して、話を聞けば良かっただろうか、と今更ながらに思う。
けれど、はぐらかされただろうなと言う気もして、
は苦笑した。
(…何も言わないのはお互い様…か。きっと私には何も言えない。…せめて…良い夢を)
回された腕にそっと手を添えて、
は祈るような気持ちで眠りについた。
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