[15時にポアロで]
そんなメールが着たのは、若干死んだ目で徹夜明けからのランチのおにぎり片手にモニターと睨めっこしていた時で。
今までにない内容に、
は思わず動きを止めて、怪訝な顔をする。
普段、
が外に出る事はまずない。
処理の終わったデータがある旨、伝えてはいたが、潜入先に来いとはどう言うことか。
とは言え、上司からの命令である。
咀嚼を再開して、米を飲み込むと、視線を巡らせて風見の姿を探した。
その様子に気付いたのか、他の課員と話していた風見と目が合う。
一言二言で話を切り上げてこちらに来る風見に、少し困った表情を浮かべて
は口を開く。
「風見さん」
「何かあったか?」
「すみません、降谷さんから呼び出しが。データを外で受け取りたいようで。と言うか、私が行って意味あるんですかね…」
「…わかった。ちょうどいい、そのまま今日は帰宅を」
「えっ、でも…」
風見の言葉にきょとんとした
は、慌てたように首を振る。
確かにそろそろ一段落はするが、仕事がないわけではない。
まして、いつ追加オーダーが入るかもわからない状態で、残していくには少々不安な量だ。
「昨夜も帰っていないだろう、倒れてからでは遅い。今の内に休んでくれ」
「…それ、他の人にも言えますからね?」
わかっている、と少々疲れた溜め息を吐く風見に苦笑して、
は時計を見た。
「では、15時指定なので、それまでにできる所まではやりますけど…。お言葉に甘えて帰ります。降谷さんに何か渡しておく物は他にありますか?」
小さく頷いた風見は自席に何かを取りに戻る。
それを見送って、モニターに視線を戻した
は少しでも仕事を減らすべく、手を動かした。
毛利探偵事務所の下。
ポアロと書かれた看板をちらりと横目に、ドアへ手をかける。
カランカランとドアベルが鳴り、いらっしゃいませ、とかけられた声に一瞬怯むが、
はなんとか取り繕って中に入った。
カウンター内に立つ女性と目が合えば、にっこりと微笑まれる。
「お好きな席にどうぞ」
「あ、はい――」
客もまばらな店内を見渡して、歩き出そうとしたところで、視界に見慣れた金糸が写る。
「梓さん、すみません、遅くなりました」
奥からコーヒー豆の袋を抱えて出て来たその人は、
の姿を捉えて、少し驚いた表情を浮かべた後、笑顔になる。
「あぁ、やっと来ましたね」
「あら、お知り合いですか?安室さん」
「えぇ」
目の前で交わされる会話に、
は少々混乱して、瞬きを繰り返す。
ただの客と店員で済ますつもりが、あっさりと知人であると暴露する降谷に、一体何を考えているのか、と意図を測りかねた
は動けずにいた。
そんな
に、ふっと笑って降谷は、こっちへ、と席に案内する。
「どう言うつもりですか、ふ――あ、安室さん…」
ついて行きながら、小声で問い質す
をちらりと見て、悪戯っぽく口角を上げるだけで、降谷――安室は何も言わない。
案内された席は、出入り口からは見難く、けれど、カウンターからは目の届く場所で、
は落ち着かなさげな表情のまま、そこへ座った。
「注文はいつものでよろしいですか?」
「あ、はい…え?」
「では、少々お待ちください」
咄嗟に応えたものの初来店の客に、いつもの、とはなんだと言いたげに顔を上げた
に微笑って、カウンターへと戻って行く安室と入れ替わりに、お冷を持った、先程、梓と呼ばれていた女性が近寄ってくる。
「お水とおしぼり、お待たせしました」
「ありがとうございます」
「…あの、すみません、もしかして、
さん…ですか?」
「はい…?」
いきなり名を呼ばれて、きょとんとした顔で見上げれば、少し考え込むような表情をしていた梓は、やっぱり!、と手を打ち合わせてニコニコと笑う。
「お噂はかねがね!あ、私、榎本梓と言います」
「あ、えと、
です…って、噂?」
「「こんにちは~」」
嫌な予感に顔を引きつらせていると、カランとベルを鳴らして入って来た女子高生に小学生と思しき二人組に梓の意識がそれたタイミングで、安室を見るが、涼しい笑顔を返されるだけだった。
(完全に遊ばれてる…)
「あ、いらっしゃい、蘭さん、コナン君」
「!!」
聞こえた名に一瞬反応した
は、すいっとさり気なく二人を見る。
この少年が例の、と思ったところで、あずかり知らぬところで噂される居心地の悪さを今まさに自分も感じている事に思い至って、溜め息をついた。
先入観で物事を見るのはやめよう、と軽く頭を振っていると香ばしい香りが漂ってくる。
嗅ぎ慣れたそれに自然と肩の力を抜いた
に安室も目を細めた。
「蘭さん蘭さん、とうとう、例の彼女が!」
そんな
を尻目に、紹介するように手のひらで示しながら梓が言えば、蘭の視線がさっと
に向く。
「えっ、もしかして安室さんが、なかなか懐かない可愛い黒猫、とか言ってたあの?」
「ゴホッ!!」
パッと顔を輝かせた蘭が発した言葉に、
はせっかくゆったりした気分で飲みかけた水に盛大にむせる。
「やだな、本人にバラさないでくださいよ」
恥ずかしいじゃないですか、と全くそんな事を思っていなさそうな顔で、トレーを手に安室が近付いてくる。
「…っ!、っ!!!」
ゲホゲホと咳き込みながら、いったいどんな話をしたんだ、と
は涙の浮かんだ目で安室を睨んだ。
「お待たせしました、いつもの、ハムサンドとコーヒーです」
そんな
の様子もお構い無しに配膳しながらニコニコと微笑む安室の後ろで、いつものって、とキャーキャー言う蘭と梓に、
は目眩を覚える。
(これ絶対余計な事に巻き込まれてる…)
「おねーさんは、どんなお仕事してるの?」
「私?えーと、まあ、簡単に言うと事務…かな?営業さんが使うデータの取りまとめとかね」
「え、そうなんだ?」
「??どうして?」
何故かそのまま同席する事になった二人を前に、食後のコーヒーを飲みながらたわいない話をしていた
は、コナンの問いに首を傾げる。
「平日のこんな時間に喫茶店にいるから、不思議だな~って。何か特別なお仕事かと思ってた」
オレンジジュースを飲みながら、無邪気な顔で言うコナンに目を瞬かせた
は苦笑した。
「あー、うん、そうね…普通はそうよね…、聞いてくれる?私の職場、ブラックでね…実は今日も徹夜明けなの。同僚がみんな良い人なのが救いかな」
「え、そうだったんですか?タフですね、
さん」
徹夜明けに見えない、と驚く蘭に
は肩をすくめる。
「やり甲斐はある仕事だし、慣れてしまえば、体って騙せるものだから。疲れてないとは言わないけど」
「はい、と言う事で、送りますよ、
」
ちょうどコーヒーを飲み終えたところを見計らって、皿を下げに来た安室が言った。
「え」
「僕も今日は上がりなので。車を回して来ます」
「あ、ちょっ…!」
荷物はこれだけですか? と席に置いていた紙袋をひょいと奪われて、止める間もなく安室は去って行く。
引き止めかけた手をだらりと下ろして、溜め息をついた
に、蘭はニコニコと笑顔を向けた。
「大事にされてるんですね、
さん」
「振り回されている、の間違いじゃないかしら…。っと、伝票…がない…、すみません、お会計は」
蘭に疲れたように答え、梓に声をかければ、笑顔でふるりと首を振られる。
「安室さんからちゃんとお代はいただいてますよ」
「……」
「ほらやっぱり~!それに安室さん、
さんの話する時はいつも楽しそうなんですよ、ね、コナン君」
「うん、とっても」
鞄から出しかけていた財布を手に止まる
に、追い討ちがかかる。
蘭の純粋な笑顔が眩しく、
は視線をそらした。
「…っどんな事を言ってたかはわからないけど、出来れば、全部忘れてほしい」
何と言うか、面と向かって関係性を突き付けられると非常に居た堪れない気持ちになる。
大事にされているか否かと言われれば、確かにそれはそうだと思うのだが、いかんせん、相手は降谷だ。
相手など選り取り見取りであろう、眉目秀麗、かつ、できる男が、何故自分を選んだのか不思議でならない。
と言うか、今でも勘違いではないかと思う事がある。
だが、一度、虫除けかと言うニュアンスの事を何の考えもなく口にした時、それはそれは壮絶な笑顔を向けられた。
怒りのオーラが半端なく滲むそれに、反射的に謝罪したのは記憶に新しい。
公安のエースに対し、かたや一介の事務員。
言ってしまえば
は降谷に拾われた身ではあるが、拾われた時点ではそんな気配はなかったはずで、一体いつスイッチを押してしまったのか全く記憶にない。
元々そういう感情に疎い自覚はあるし、正直に言うと降谷に対して、引っかかると危なそう、と言う印象もあっただけに付かず離れずの距離を保っていたはずが、現状は、どうしてこうなった、と戸惑うばかりだ。
実のところ、その一歩引いた態度が興味を引いた一端であると露ほども気付いていない
は、はぁ、と何度目かわからない溜め息をつくと、視界の端に白のRX-7が滑り込んでくるのが見えて、鞄を手に立ち上がる。
「っ来たみたいだから失礼するね。じゃあ、また、蘭さん、コナン君。梓さん、ごちそうさまでした」
そそくさとポアロを出る
の背に、また来てくださいね、と笑みを含んだ、けれど嫌味のない梓の声が届いた。
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