ずっと気になっていた。
その思いを、言葉にした事がない、と。
けれど、口にするのも躊躇われて。
そして、それを求められた事もないのをいい事に、ずっと伝えずに来た。
隣に座るその人をちらりと見る。
仕事の時間は終わっているのに結局手元にあるのは端末で、時折呆れたような溜め息を吐いている。
かつかつと画面を爪で叩きながら眉根を寄せる横顔。
「ギル」
「? どうした」
そっと名前を呼べば、すぐに真紅が向けられる。
なんだか胸が詰まって、口を開くものの言葉にはならずつい視線を落としてしまう。
「…なんでもない」
「まただんまりか」
そうは言うものの大して気にした様子もなく、伸ばされた手が無造作に髪を梳いていく。
よく考えるとギルガメッシュからも直接的な言葉はない。
確かに言葉が必要か問われて不要だと言ったのは自分で、その思いは今も変わらない。
隣にいろとは言われているし、これだけ共にいて寄り添う事を許されている以上、明白なのであろうが、なんとなく自分の都合の良いようにただ勝手にそう解釈しているだけなのではと言う思いもよぎる。
自分が口にしない事をギルガメッシュはどう思っているのだろうか。
ぼんやりとしながら左手の薬指に収まる金色を撫でる。
(…ギルの物である時点で、そんな言葉を紡ぐ事は無意味かしら)
突き詰めれば、自分がどう思っていようがその立場に関係はない。
むしろ、余計な事だろうか。
もちろん、ギルガメッシュの事は慕っているし、嫌うはずも厭うはずもないのだが。
与えられる恩寵に、どう応えればいいのか。
小さく息を吐いてギルガメッシュの肩にそっと頭を寄せる。
俯いていた
は、目を細めて見下ろしているギルガメッシュには気付かなかった。
管制室に入るなりあまりの空気の悪さに、うわっと声を出しそうになった立香は慌てて口を押さえる。
暗雲立ち込める、とでも言えばいいのかとにかくひどい。
「おや、お疲れ様、立香ちゃん」
すぐに気付いて声を掛けてくるダ・ヴィンチにそそくさと近寄る。
「…なんか王様、すっごい機嫌悪くない?」
「そうなんだよねぇ…」
立香が耳打ちすれば、ダ・ヴィンチも眉尻を下げて肩をすくめた。
「何かあった?」
「こちらは何も。あぁでも、言われてみれば、
ちゃんが顔を見せてないね」
「それしかないじゃん…」
呆れたように呟くと、喧嘩でもしたかな?とダ・ヴィンチが首を傾げる。
仕事はこなしているようだが、普段にも増して近寄りがたい雰囲気を漂わせているギルガメッシュを横目で見つつ、重たい溜め息を吐く。
「…王様、は無理だから、折を見て
さんにちょっと聞いてみようかな」
「そうしてくれるかい?」
軽く眉根を寄せて困ったように言うダ・ヴィンチに立香は一つ頷いた。
共には居るがどこか微妙な空気の中、ただ黙って何やら本を読んでいる
を眺める。
そのページがほとんど進んでいない事を、本人は気付いているのだろうか。
眉をひそめて溜め息を吐きかければ、何かに反応するように
が顔を上げる。
するとすぐに扉をノックする音が響いた。
「はい」
立ち上がり扉に向かって
が返事をするとすぐに馴染みのある声が聞こえる。
「すみません、
さん。あの…」
「どうしたの?」
扉を開けるとそこにはマシュが立っていた。
「えっと、先輩とお風呂に行くんですが、
さんもどうですか?」
少し不安そうにしながらも聞いてくるマシュに目を丸くした後、
は室内を振り返った。
「…ギル」
確認するように名を呼ばれ、ギルガメッシュは端末を取り出しながら、行って来いと手を振る。
「すぐに用意するわ」
マシュに向き直り、ふわりと微笑った
は手早く準備をすると部屋を出て行った。
月の浮かぶ湯に体を沈める。
広がる波紋に月は消え去り、湯気がふわりと立ち込めた。
そばの岩にもたれ、ほぅと息を吐く。
「うぁあ゛あ゛~やっぱりお湯には浸かるべきだよね~」
しみる、とまるでお年寄りのように立香が唸る。
「ふふ、だいぶお疲れね?立香」
「んー…どうだろ、風呂は日本人の心だし、声が出るのは仕方ない!!」
くすくすと微笑う
に返しながらそちらを見る。
柔らかく緩められた桃色が月明かりの中で揺れていた。
その少し憂いを帯びた目に、意を決したように立香は口を開く。
ここならば絶対に邪魔は入らない。
「ね、
さん」
「うん?」
「王様と何かあった?」
ストレートな立香の問いに目をしばたたかせた
は一つ息を呑む。
「…何も?」
「……王様に何か言われた?」
「っ!それはないわ!」
納得していない立香の言葉をかき消すように、違うのだと思わず声が大きくなる。
はっとして気まずげに視線を落とすと立香とマシュの目が驚きに見開かれる。
「えっ、あの、
さん?」
「な、なんで泣いてるの」
「え?」
焦った様に言われて自分の頬に触れれば、確かにそこは汗でもお湯でもないもので濡れていた。
まさか涙が零れているなどと思わず、
は頬を拭うと顔をそらす。
「っ、ごめん、なんでもないから…」
「いや、何でもなくないよ…。王様も今日ずっと様子が変だったし…何があったの?」
心配そうに見てくる二対の目に、
は息を詰める。
何度か口を開いては言葉を飲み込み、躊躇うように視線が揺らいでいる。
「…自分の気持ちを言葉にした事がないなと…思って」
「へ?」
想定外の言葉に立香は目を丸くする。
自嘲気味に微笑う
の顔はどこか痛々しい。
「求められた事もないし…私はいつも甘受するだけで、ギルにとって私の感情は必要ないのかしらと…ふと思ったの。ギルのせいじゃないわ。私が勝手に思い悩んでるだけなのよ」
自分の寄せる思いは迷惑な物なのではないだろうか。
そんな事を小さな声で吐き出した
は、膝を抱えて逃げるように口元を湯に沈めた。
伏せた目からまたぽろりと涙が零れる。
「…
さん」
少し呆れたような声になるのは許してほしい。
だって、本当に、何を言っているんだ、としか思えないから。
普段は凛としている
が、恋愛方面に関してはひどく奥手で、自信のなさから卑屈とも取れてしまう思考に陥るのは重々承知しているし、まして相手はこの世全ての財を手にする最古の王。
何故自分なのかと思ってしまうのも十二分にわかるが、やはりこれは度が過ぎるのではなかろうか。
隣ではマシュも何とも言えない顔になっている。
何がここまで
を追い詰めているのだろう、と溜め息をつく。
「ねぇ、
さん。
さんは王様の事、好きでしょ?」
「っ、えっ、その……」
目を見開いて慌てた
の動きにパシャンと湯が跳ねた。
「大好きでしょ?」
念押しするように重ねると、ぼぼっと火が付いたように顔を真っ赤にした
が少し後退る。
「…な、なんで」
「見てたらわかるよ、そんなの」
「僭越ながら私も」
自分達に向けるのとはまた違う、柔らかな笑みはギルガメッシュの前だけで見られる。
決して他の人と態度を変えているとは思わない、自然な流れで浮かべるその表情は見ているこちらも嬉しくなるのだ。
「王様もわかってるはずだよ」
「えっ…」
まん丸になった瞳が立香を呆然と写す。
「
さんだって、王様から明確な言葉はなくても大事にされてるのはわかってるでしょ?だったら、王様も一緒だよ。
さんの思いが伝わってないはずも、嬉しくないはずもないじゃん」
「はい、ギルガメッシュ王も
さんのそばではとても穏やかに過ごされてますし、間違いないかと」
立香の言葉を援護するようにマシュも微笑む。
「でも、
さんが言葉にしたいって思うなら、言ってあげるのもありだと思うよ?」
悪戯っぽく言えば、
はびくりと体を震わせそのままずるずると鼻先まで湯に沈んでしまった。
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